第2回 真田幸村と八味地黄丸 前編

皆さんこんにちは。鞍手クリニック副院長の千々岩 武陽です。
前回お知らせした「副院長のナルホド漢方講座」を始めたいと思います。記念すべき第一回目は「八味地黄丸」という漢方薬についてのお話です。

ところで、私は日本の歴史、中でも戦国時代に関する小説、ドラマなどが大好きなのですが、池波正太郎の小説「真田太平記」の影響にて、真田幸村(信繁)の大ファンを自認しています(笑)。
数年前には、大河ドラマ「真田丸」もありましたし、今も昔も真田幸村に対する人気は衰えることを知りません。人気の理由の一つは、関ヶ原の戦いや大坂の陣にて、寡兵をもって強大な徳川軍に何度も煮え湯を飲ませた、戦上手な点にある気がします。
そしてもう一つは、滅びゆく豊臣家や大坂城を背景に、家康の首にあと一歩のところまで迫りながら、衆寡敵せず華々しく散ったその最期が、「滅びの美学」を愛する我々日本人の心に響くからなのでしょう。

西暦1600年、幸村は父の昌幸と共に、たった数千人の戦力で、徳川秀忠率いる3万8千人の大軍を関ヶ原に遅参させる、という大金星を挙げます。しかし局地戦では勝利したものの、決戦となる関ヶ原の戦いでは、所属していた西軍が敗れたため、真田親子は紀伊の九度山に配流されてしまいます。その後大阪城に入るまでの10数年間、九度山での隠遁生活は、働き盛りであった幸村の心身に深刻なダメージを与えてしまったようです。実際に幸村から姉の夫へと宛てた手紙が現存しており、そこには、

「去年から急に老け込んでしまい、病人になってしまいました。歯も抜けてしまい、髭も黒いところは無くなってしまいました…。」
と自らの健康状態への嘆きが記されています。

ここで漢方医の目線から幸村の健康状態を診てみると、歯も抜け、髭も白くなり、弱気となったこの状態は、漢方医学でいうところの「腎虚(じんきょ)」という状態に相当します。

腎とは、成長や発育、生殖能力を司る機能的な単位であり、水分のろ過や再吸収といった現代医学における腎臓の機能に加えて、泌尿器や生殖器的な機能も含まれます。

加齢により、腎が衰えてくると、歯が抜けたり、骨が折れやすくなったり、頻尿、インポテンツといった肉体的な変化が出現しますが、それに加えて自信をもてなくなったり、気落ちしやすくなったり、といった精神面の症状までもが現れてきます。まさにこれらは九度山で隠棲していたときの幸村の状態にそのまま重なります。

現代医学的には、これらの症状は男性の更年期症候群、正確にはLOH症候群(加齢男性性腺機能低下症候群)と呼ばれます。

LOH症候群は、男性ホルモン(テストステロン)の分泌低下が主な原因であり、さらにはこのテストステロンは、ストレスの影響を受けやすいことが知られています。
つまり、関ヶ原における敗戦、父昌幸の死、経済的困窮、加えて「配流先で虚しく朽ち果てていく絶望」といった心理的ストレスは、幸村の心身を苛み、著しいテストステロン分泌の低下を引き起こしたに違いありません。そして、病み衰えた自分を嘆くことでさらに気分は落ち込み、症状の悪循環を作り出していたのではないか?と私は心療内科的観点から推察しています。

しかし、宿命は幸村にそのまま歴史の闇に埋もれることを許しませんでした。豊臣秀頼から、大阪城入城への依頼が届いたことで、戦将としての幸村は息を吹き返します。こうして赤備えの具足で部隊を統一した幸村は、家康との最後の戦いに身を投じるわけです。

ちなみに、「赤」という色は、動物においても人間においてもテストステロンレベルを上昇させる効果が知られています。更には、赤いユニフォームの着用は、血中のテストステロン値を上昇させ、戦意を高める効果があることも報告されています。すなわち幸村の赤備えは、敵を畏怖させる効果と共に、腎虚であった自らを鼓舞し、戦闘モードへのギアチェンジを図ったものと考えられます。

幸村の赤備え部隊の奮闘は凄まじく、大阪冬の陣では寄せ手の前田隊を壊滅させ、夏の陣では伊達政宗率いる騎馬鉄砲隊を突き崩し、ついには家康の本陣にまで肉薄します。この時家康は、絶望のあまり二度まで自害を覚悟したそうです。しかし突撃を繰り返す中、やがて疲労困憊となった幸村は、撤退を余儀なくされます。こうして安居神社の境内で休んでいたところを、越前勢の西尾宗次に討ち取られてしまうのです。

歴史にifはあり得ませんが、ここで私は夢想するのです。
「もしも九度山隠棲時代に、幸村が八味地黄丸を服用していたなら…。そして腎虚を改善し、万全の状態で大阪の陣に参加していたなら、本当に家康の首を獲れていたのではないか?」と…。

という訳で、次回の後編では、私が真田幸村に飲ませたかった漢方薬、八味地黄丸について解説してみましょう。